レッドウッドの大木

多言語の自然習得

こんにちは

ご訪問ありがとうございます。

ヒッポファミリークラブで多言語の活動を楽しんでいます。ヒッポファミリークラブでは赤ちゃんが日本語を話していくのと同じ道筋でたくさんのことばを習得しています。

多言語活動の提唱者は榊原陽さん。なくなりましたが2006年の榊原さんからのメッセージを紹介します。私はこのレッドウッドのお話が大好きです。だれでも素敵な可能性があることを教えてくれています。

昔、アメリカに行った折に、ヨセミテ国立公園で有名なレッドウッドの大木を見る機会があった。その大きいことといえば、幹の下のほうをくり抜いたトンネルを観光バスが通れる程である。さて、ここからは私の想像上の話である。森の中を散策していると、陽だまりの中で一本の木の芽が輝き、まるで私を呼んでいるかのように感じられた。近寄ってみて「君はレッドウッドの木じゃないか?」ときいたら「そうだよ。」と答えた。私は更にじっと目を凝らした。するとその小さな木の芽に書かれていること、いわゆるDNAが読めてきたのである。そこには、「もしとてつもなく運が良くて、太陽が照らし、雨が降り注ぎ、何も邪魔するものがなく、あらゆる条件にめぐまれたなら、やがて巨大な木に成長するだろう」と書いてあった。

生後4カ月の孫がいる。すでに一人前以上の存在感を放っている。機嫌のいいときはこちらの語りかけに対して、もう歌うかのような声を出している。この声は樹木で言えば芽にあたるだろう。私はまたもやじっと赤ちゃんを見つめ、耳を傾ける。するとそこに人間のDNAが読めてくる。「パパやママが優しくしてくれて、周りの人たちが可愛がって声をかけてくれるうちに、2年もすれば周りでしゃべられている言葉が話せるようになるよ」と書いてあるのだ。

植物にとっての環境は偶然に置かれたところの周りの状況であり、いわば運任せである。しかし人間にとっての環境は、周りの人たちとの関係性の中に築かれていくものである。自分自身もその環境の担い手の一人となってことばのやり取りが始まっていく。人のDNAには、与えられた個体の履歴だけではなく、これから将来、個体「間」で新たに創られていくであろう可能性が含まれているのだ。昨今、自然界の環境問題への警笛が鳴らされ続けているが、ことばを話す人間にとっての最も大切な環境とは、うそでないことばを聞き、そして話せる、人と人との関係性をおいてはほかにない。

0歳の孫はことばを自分で勝手に発明することはしない。ことばは一つ残らず周りの皆からもらう。文法もなにも勉強しないけれど、そうした仕組みそのものも皆からもらって話せるようになるのだ。そして自分のユニークな世界を創り出していく。

人間のひとりびとりはユニークな存在なのだが、自己体験の世界はものすごく狭く限られたものである。しかし私たちにはことばがある。誰かの話を聞いて共鳴し、そこでまた自分の人生が豊かになっていく。話す側の人もまた、誰かに向かってことばにすることによって初めて体験が本物になっていくのだ。

きょうもまた私は懇談会の部屋のドアを開け、活き活きとした体験談を語ってくれる人たちが訪ねてくるのを待っている

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